僕は昔から日本の外に興味があって、国際とかグローバルとか謳ってるコミュニティーにはとりあえず参加していくようなタイプでした。
おかげで、語学や文化に対する理解は深まったと思っています。
でも、最近になってなんか違うなと思い始めたので、もう一度国際協力について考えてみました。
目次
国際協力は誰のため?
JICAのページでは、国際協力を以下のように定義しています。
貧しい人のために何かをしてあげることではない。
貧しい人のために何かをしてあげることではないと主張されていますが、国際協力の実例を調べるとどれも、強い国が貧しい国、立場の弱い国に支援をしている形になっています。
もちろん、強い国同士の協力もたくさんありますが、それは国際協力ではなく、単なる貿易とかそういう話になってくるんだと思います。
だから結局、国際協力とは貧しい国の人たちや問題を抱えている国々を助けていこうよという話で、強い国が圧倒的に主導権を握って進めていくものだと考えています。
知りたくなかった
これまで人並みに国際協力関係に携わってきたので、多少は途上国支援や紛争、アフリカでの貧困などの諸問題についての知識はついたと思います。
ですが、それを知ったところで何もできない自分がいるので、むしろ知らないままの方がよかったと思うことの方が多かったです。
例えば、ザンビアでの数学教育の問題(数学教育が特に行き届いていない)については、適切な教育体制を整えれば解決できるということぐらい小学生でもわかることだと思います。
しかし、いくら理論を唱えたところで、自分の生活で精一杯なのにどうしてザンビアの数学支援の指揮を率先して取ることができるのでしょう。
周りが見えなくなるほど精一杯自分の人生を生きているとは言えませんが、わざわざ自分の生活を激変させてまでザンビアでの問題に真正面から向き合う覚悟はありません。
(自分が今取り組んでいることや学んでいることが、結果的にそういう問題の解決の糸口となったり、繋がったりしてくれればそれは嬉しいですが。)
大人になって自分の人生が確立して余裕が出てきたころに、また外の世界に興味が湧いて何らかの形で協力しようとするかもしれませんが、少なくとも、まだ自分の人生設計が不安定な学生時代のうちに、どこか遠い国の人たちの幸せを背負うには責任が重すぎると感じています。
そうこうして、考えるだけで、結局何もしていない自分に罪悪感を覚えることがあります。
かわいそう
ここでは、アフリカの国々と日本を比べます。
日本で暮らしている僕の幸せの形と、アフリカで暮らしている人々の幸せの形は当然のことながら大きく異なっています。
それなのに、アフリカは電気が通っていないとこがあってかわいそう、水を毎日歩いてくみに行かないといけなくてかわいそう、家具とかなくてかわいそう。
そういった幸せ感の押し付けをたくさん見てきたのも、国際協力が嫌になった理由の一つかもしれません。
携帯電話を持っていなくても、毎日3食食べることができなくても、十分な医療が受けられなくても、それでも彼らには彼らの幸せの形があります。
それを、かわいそうの一言で言いくるめてしまう人には、国際協力なんて言葉を今後一切使ってほしくありません。
むしろ、大量の情報に悩殺される日々を過ごしている日本人の方が、アフリカの人々と比べるとかわいそうなのかもしれません。
一人歩きする国際という言葉
最近は特に、グローバル化や国際という言葉のつくものが乱立している印象があります。
もちろん、日本の外に興味を持って活動をすることは素晴らしいことですが、蓋を開けてみると国旗を並べて遊んでいるだけのコミュニティや、グローバル化という言葉を大々的に使いながら英語を教えているだけの英会話スクールが多いような気がします。
さまざまな国の人と交流する機会は日本ではなかなかない貴重な経験ですが、みんなで写真をとってイェーイ、それで終わり。みたいな人たちが、率先して国際協力について語るのは少し違う気がしています。
そのような光景を何度も見てきて、やっぱり国際協力というのは今の自分には合っていないなと思い始めて、興味がどんどん薄れていきました。

