日本人は~だと主語を大きくして語るのは、明らかに文化的ステレオタイプを軽視しているし良くないことだ。それでも、世界的に見て日本人の英語力はかなり低いところに位置している。GDPが世界3位の国なのにだ。
小学校から12年間以上英語を学んできて、世間ではグローバル化という言葉が一人歩きして、英語を話したいという理想、憧れだけが強くなっていく一方、語学の本質を見失っているようにも見える。
なんていったって、英語で話す機会があると8割型の日本人はまず逃げようとする。
目次
ここでは失敗できない
日本の文化を想像すると真っ先に思い浮かぶこと。
大勢の前で失敗するくらいなら黙っていたほうがいい、そういう考えがまず根底にある。
人前で何かやってみたところで成功すればでしゃばり、失敗すれば「そらみろ、言ったこっちゃない」と。安全圏から石を投げるのは楽だ。そうやってそれぞれが石を投げ合い、負の方向へと引きずり込むネットワークを知らず知らずのうちに形成しているのだ。
これを言っている俺ですら、今まで何百、何千と他人に石を投げてきたに違いない。
とにかく、この国では失敗は大きなリスクなのだ。
これの何が日本人の英語力に影響するのかは想像がつくと思う。
多くの日本人は、英会話を0と1で捉えている。できるかできないか。それだけだ。
俺はこれをデジタルジャッジメントと呼んでいる。そもそも、英会話ができる、できないという表現がおかしい。
この”判定”によって、無意識のうちに流暢に英語を話す層とそうでない層に線引きができてしまう。そうしているうちに、英会話自体から逃げ始めるようになる。
なにせ、失敗は許されないのだから。
アクセントとコンプレックスの形成
日本でアメリカンアクセントの英語を話した時について想像してみてほしい。
大体の場合、マウントをとっている、カッコつけている。こういう冷笑が先に上がってくる。実際に俺も、こういうことを言われた経験は何度もある。
英語を勉強して話してみたところで、こういうことを言われた人はもうやりたくないと思う。そうやって、一歩踏み出す者をみんなで押さえつけるのだ。
このような抑え込みをしてくるタイプの人々は、たいていジャパニーズアクセントにコンプレックスを抱えている。
英語には、アクセントが国の数だけあると言っても過言ではないのだけど、日本の外に興味を持っていない人からすれば、そこにあるのはジャパニーズアクセントとアメリカンアクセントだけなのだ。
そうして、2つのアクセントをまたもやデジタルジャッジメントにかけて優劣を作り出し、社会に共有されていくのだ。
その割には、学校生活の場面においては、日本語アクセントが優勢と評価されるようだ。そのせいで、多くの人はジャパニーズアクセントを強いられる。
なんて都合がいいんだろう。
カタカナの悪影響
さっきは、ジャパニーズアクセントも立派な英語だと言ったけど、円滑なコミュニケーションを進めるには最低限の発音の知識を身につけておかなければ話にならない。
例えばLとR 。
日本語にはこの二つの区別はなく、ラ行で片付けられてしまう。
標準的な日本語なら、ラ行はLにちかい音に聞こえる。(ヤンキーはRに聞こえる)
だから、せめてLの音は発音できると思いきや、みんな気まぐれにLとRを使い分けている。本当にランダムに使い分けてる。
この原因として、日本人は英語を話すときに頭の中にアルファベットでなくカタカナが先に浮上している可能性が考えられる。
確かに日本語の中では外来語を表記するにはもってこいの表記だけど、それが通用するのは日本語の中だけだ。
モノカルの弊害
日本は世界的に見て圧倒的に日本人の割合が多い。島国文化なら普通のことかもしれないけど、一つの人種がマジョリティを占拠してしまえば立派なモノカル国家の出来上がりだ。
これによって、英語力の向上に歯止めがかかってしまう。
日本では、今のところ英語を使わずとも日常生活を送れるし、使えなくても困ることはほとんどない。
そんな中では、英語は生きていくための道具ではなく単なる選択肢と化すのだ。
選択肢と化した英語は、商品のように扱われ、市場価値、付加価値としてはかられる一つの要素にすぎなくなる。これを自分のものにするかどうかは、人それぞれの判断に委ねられてしまう。
これらの環境から逃げるには、日本で口だけの理論を唱えて英語学習をするよりも、一人で海外に住んでみることが一番いい。
これは海外経験が多い人には比較的共通することだが、一人で旅立ち、異国の地に足をつけた瞬間、日本にいるときに感じていた見えない圧力がスッと消えていくのを感じる。
できるだけ若いうちに、これを経験しておくことで、これからの世界を生きるのに必要な新たな武器を手に入れることができるのだ。

