サムネがコーヒーの記事は書きかけです。

◯活という言葉が嫌いな理由

俺は昔から、◯活という略語が嫌いだ。就活、婚活、朝活、腸活、恋活、終活、、あげればキリがないし、これからもこういう言葉は増えていくだろう。

こういう言葉が嫌いな理由の一つに、’活’とついた瞬間、何かテンプレートが生成されてしまうような気がしてならないことがある。

就活を例にとると、就職活動が定式化され、「絶対内定!」「必勝法」なるマニュアルが出まわり始める。そして、ハイエナのように人材サービスがここぞとばかりに集り始める。まるで誰かに、「普通はこういうときはこうして、こういうときはこうするんだよ、こうしないといけないんだよ、あなたは遅れてるから急がなきゃ」と諭されているような感覚に陥る。どこの誰が作ったかもわからないルールに則って、良し悪しが生み出される。その良し悪しを評価する人は、一体どれだけ偉い人なのだろう。

婚活もそうだ。「絶対に幸せになる方法」「素敵な人を見つける方法」。結婚すれば幸せになれるよ、あなたが幸せではないのは結婚していないからだ、◯◯歳までに結婚しないと遅れてるよ、そういう暴論が人々を焦らせ、煽り、婚活ビジネスへと送り込む。

朝活に至っては、自分が朝に何かをするだけの話を、なぜ一般化してしまうのだろうか。活という言葉には、仲間と一緒に何かをやっているという連帯感を生み出す力があると思う。だが、そういう連帯感が、こうしないといけない、という使命感を生み出しているように感じる。

本来は自分が純粋に何かをやろうとしているところに、名前も顔もわからないような「彼ら」が決めた道に軌道修正をかけられるのは良い気持ちではない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です