最近不幸が多いと感じる人は以下の4つのものが原因かもしれない。
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比較
マイクロソフトの誰かが言っていたように、他人と自分との比較は自分への最大の侮辱行為だ。とはいえ、社会に生きていれば嫌でも比べられることは多い。
女なら若さ、可愛さ、体型、彼氏の有無など、男なら身長、収入、学歴、スキルなど、自分では比べようとは思っていなくても、比べたくないと思っていても、人からそういう観点でジャッジされることは多い。
なぜなら、そういう露骨なトピックは教養やバックグラウンドにかかわらず、万人共通の話題になりうるからである。
だからといって、資本主義にトラップされた屍のように、嫌な気持ちになって消耗していてはしかたがない。
精神の安全のために、よく人をジャッジするような発言をしている人や、世間一般論を押し付けてくる人との付き合いをもう一度見直してみるのもいい。
他人の動向ほどどうでも良いものはない。「いや、Instagramは友達だけしかフォローしてない」という意見もあるが、はたしてその中に本当の友達は何人いるだろうか。
つまり、今日見たあの人の投稿も、よく考えると他人のどうでも良い動向の一つに過ぎないのかもしれない。あの人とも、この人とも、少しでも接点がある人たちとソーシャライズを続ける安心感は理解できる。だがしかし、その情報は本当に必要なのだろうか。他人との比較の種になってはいないだろうか。
人との接点が増えれば増えるほど、同時にそれだけ人生にノイズが増える。ソーシャルメディアがなかった時代はそれでも良かったかもしれないが、他人の生活の一部があまりにも簡単に見え過ぎてしまってはいないか。
俺は対処法として、相当興味のある友達か好きな人以外の、いわゆる「どうでも良い人たち/もう会うことのない人たち」は問答無用でミュートにしている。別に嫌いになったから、などではなく単に自分の人生や意思決定に不必要な情報だからだ。
他人への淡い期待と不幸マインドセット
自分が不幸だ不幸だと主張している人をよく観察すると、誰かに幸せにしてもらおうという思考が垣間見える。
そうやって、自分以外の何かに期待し続けた結果、思うようにならなかったという経験だけが募っていき、いつしかほらやっぱり、と言わんばかりに自分が不幸になる事実を確認することが全ての目的となっている。
そうやって、不幸マインドセットが確立すると、日々失敗する理由、不幸になる理由を探し始める。
本来は自分の幸せは自分で勝ち取る、そしてそのプロセスこそが幸福そのものだ。
