サムネがコーヒーの記事は書きかけです。

在宅勤務には否定的なスタンスをとっている

コロナ以降流行っている在宅勤務に対して俺は否定的なスタンスをとっている。

今の自分の会社やインターン先は全てフルリモートで行っているため、一概に在宅勤務は悪だとはいうつもりはないが、この働き方にはこれからも否定的だと思う。

仕事と自分のセーフゾーンの境界線が曖昧になる

在宅勤務を経験する前は、家という自分だけの落ち着いた快適環境でキーボードを何やらカチカチやって終了、みたいなイメージを抱き、憧れすらあった。だが、在宅勤務を経験してみると、だんだんと仕事と自分のセーフゾーンの境界が曖昧になってきていることに気づいた。自分のセーフゾーンとは、クライアントや上司にとやかく言われない守られた環境という意味で使っているが、これと仕事の境界が曖昧になると、自分の時間のはずなのに仕事の一部が思考に流れ込んできたり、実際にメールが大量に届いて対応する羽目になったりする。作業に対する責任が少ない場合は、指定時間にパソコンを開いてなんか入力して終わったら閉じて終了! とできるだろうが、現実に存在する仕事にそのようなシンプルなものはなかなかないのが現状だ。どこでもできる仕事、というのはつまり、どこでもやれてしまう仕事、ということを意味する。そしてこれは、いついかなる時も、仕事の責任と自身の世界を常に接続してスタンバイしていないといけないことになる。

在宅ワークから淘汰される

在宅ワークとは、言い換えればすべての情報がTCP/IP, UDPなどのプロトコルにより相互に交換される、ということに過ぎない。つまり、「人間がその場に存在していること」や「同じ空間を共有していること」に付随していた、非言語的なニュアンスや場の空気、ちょっとした雑談や偶然の会話といったものが、ほぼすべて切り捨てられ、送受信可能なデータとして表現できる情報だけが価値を持つ世界になっている。在宅ワークの本質が「データとして表現された情報のやり取り」だとすると、その情報処理は人間ではなくAIでもよくなる。むしろAIの方がこれらの構造化されたデータの生成とハンドリングは得意である。これは,リモート前提で設計された業務プロセスほど、AIに置き換えやすい構造を持っていることに他ならない。在宅勤務は、確かに便利だし、通勤時間も削減されるし、表面上の効率は上がる。だが、その便利さと引き換えに、自分の仕事をAIにとって都合の良い形に差し出している、という側面もある。俺が在宅勤務に対してどこか冷めた視線を向けてしまうのは、その便利さの裏にある「淘汰の準備」が、静かに、しかし確実に進んでいる気配を感じているからだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です